楪の前には刀が一本置いてあった。
真っ赤な鞘には蝶と牡丹が美しく咲いていた。
見事な瑠璃細工。
形は短刀を伸ばしたような、そうたとえば木刀のような形をしていた。
しかし持ってみればずしりと重い。
人を斬るために作られたというよりか鑑賞するために作られたような形だった。
そんな刀を前にして楪は微動だにしない。
じっと、ただただ座っていた。
一刻が過ぎたか。まだ楪は動かない。
「っ・・・・・」
何を合図とするわけでもなく彼女はぴくりと身体を動かす。
そして顔をあげて周りをゆっくりと確認するように見渡した。
眉間には少しばかり皺が寄っている。
彼女はふと目の前に置かれた刀に目線を下ろした。
襖が、開いた。
音もなく
人もなく
「・・・・・あー・・・」
「どうかされましたか?」
人はいないと思った。
人はいないと視えた。
しかしながら襖の向こうには女が一人微笑を浮かべて座っていた。
人は、確かにいなかったのだ。
しかし。
今はそれを追求する時ではない。
「・・・・・や・・・うん。・・・・別に」
「眠ってらっしゃいましたね。」
「・・・・・・・まぁ・・・・・うん・・・そうだね。」
楪は目線をあわただしく揺らめかせていた。
少しばかり焦っているようだ。
ここでやっと彼女が動かなかった理由がわかった。
この話が始まって20行ほど。
普通なら展開が始まっていてもおかしくない。
なのに展開が始まらなかったのは当たり前と言えば当たり前だった。
彼女は眠っていたのだ。
要は熟睡していて急に眼が覚めて何があったのかよくわかってなくて刀があってああ、そうかなんて納得していたのだろう。
「あきかげは・・・」
寝起きの、かすれた声が女に問うた。
「いらっしゃいました。お通しなさいますか?」
「うん。通してくれ。」
女は静かに問いに答えて小さく一礼して襖を閉めた。
そして足音もなく消える。
しばらくすると女の消えた方から男が出てきた。
「ゆず・・・。」
「ん、なんだ。どうした」
「あ、頭が・・・」
「頭が?」
「ふわふわしておるぞ。」
「お前の頭がふわふわしてるのはよく知っているさ」
「なっ!俺の頭ではないわ!」
「うるさい。叫ぶな。あああ・・・・頭いてぇ・・・・」
女はやっと背伸びをした。
そしてその瞬間、頭を抱えて座り込んだ。
男は、適当に刀を挟んで向かい側に腰を下ろす。
「どうしたのだ?今日は雨ではないぞ。」
「二日酔い。」
「は?どのくらい飲んだのだ。」
「2升くらい・・・・か」
「・・・・・・・・。」
「・・・・なんなんだ。その眼は。」
「い、いや・・・う・・・うむ・・・そ、そうか・・・うん。」
「古い友人が訪ねて来ててな。そいつは1斗くらい・・・」
「ぬ。あの・・・ゆず。相手は人か?」
「いいや。蛇だ。」
しばらく、沈黙。
男はあきれたようにため息をついた。
女は何を今更、そんな顔をしていた。
いつの間にか女のそばには茶が二つ、並んでいる。
それから白い和紙のようなものに薬が包んであった。
女はそれを手にとって口に流し込んだ。
眉間に皺が刻み込まれる。
「・・・・・っ・・・まずい・・・・」
「うわばみ・・・」
「え?なんだ?」
「い、いや。なんでもない。それより楪。」
女は、男が呟いた言葉を聞き返したが男はそれをあわてていい返す。
髪の毛がふわふわな女、楪と
頭の中(本人否定)がふわふわな男、旭景。
「違う!ふわふわではないわ!」
「どうしたんだ・・・・急に・・・・」
「・・・・ぬ、いや、うむ。なんでもない・・・そ!そうだ!これがその・・」
「お?ああ。鬼刀だ。」
強引に話しを戻す。
楪と旭景の間に置かれていた刀を見つめてそう零した。
そっと旭景は刀に手を伸ばす。
「刀、拝見」
そうしてすらりと抜いて見せた。
旭景は刀掛にあった刀を手に取った。そして、それをすらりと抜いて見せる。
刀は白銀に光った。そしてざわざわと心の中をくすぐられているような感覚に陥った。
さて、力を込めて握りなおし、ゆっくりと息を吐く。これを振り下ろせばこの目の前の白銀は
どうやって美しく光るのだろうか。そして、血を吸えば、それは
「斬ってくれるなよ。」
にやにやと笑っていた楪は笑いをこぼしながら呟いた。
はた、と気付く。自分は何を、思っていたのだろうか。
「それが、鬼刀と呼ばれる所以さ。人に人を斬らせたくする。
血を、浴びさせてみたいと思う。
そしてそれがとても魅力的なことに感じる。」
楪は旭景から刀を受け取り鞘に納めて、また刀掛に戻す。
「最初はただの刀だったんだ。他の刀と同じように打たれて、同じように人の手に渡り、同じように使われた。
少しばかり、他の刀より切れ味がよかった。別に、鬼がついてた訳でも怪が造ったわけでもなし。この刀に
鬼を宿したのは人間なのさ。鬼を呼んだのは人間の心さ。」
しん、と静かになる。ひやりと背筋に汗が流れた。
旭景は思う。時折、本当に、この女は、狐のようであると
怪や鬼や狐や、それは人以外のものに見える。
「さぁて。この刀を人の手に渡らせずに収めるには方法がないわけでもない。」
「あ、しかし・・・溶けないのだぞ?」
「溶けないなら溶かさなきゃいいのさ。用はこれで斬られる人がいなければいいのだろう。」
「お、おう。」
楪はぱたぱたと手を2度叩いた。
しばらくするとことり、と小さく音がしたかと思うと
楪の横には巻物が一つ用意されている。
「ここから北に上がったところにな雷澄山という山があってさ。」
巻物を広げれば地図。
楪は『雷澄山』と書かれたところを指差した。
「ここに封竜湖がある。そこに刀を沈めるんだ。」
「らいじょうざん・・のほうりゅうこ。」
「おう。絶対に途中で鞘から抜くんじゃないぞ。」
「・・・・・・うむ・・・・・・・ん?ちょっと待て。その言い方は俺が行くようなことになってないか?」
「何言ってるんだ。お前が行くのさ。」
楪は薄い笑みを浮かべながら湯呑に手を伸ばした。
旭景といえばあっけにとられてぽかん、としている。
しばらくして旭景は頭を振って気を取り直した。
「ひ、独りでか?」
「いや、別に危険じゃないしな。山に登って湖見て沈めて帰ればいいし。誰か連れて行ってもいいぞ。」
「ゆ。ゆずは行かぬのか?」
「行ってもいいが・・・・」
「が?」
「めんどうだなぁ・・・・山登りって好きになれないし。」
「・・・・・・・・。」
「・・・・あ、いや、うん。ちょっと待て。怒るな。うん。行く。行くからさ。俺も。あっちの方は酒が上手いらしいし。
この時期だったら冷酒かなぁ・・・・・・黙らないでくれ!ごめんごめん!冗談言い過ぎたって!ごめんって!旭景だけだと不安だし
うん、睨まないでくれよ・・・一緒に行こう!」
「そうか!そう言ってくれると思っておった!うむ!そうしよう!」
「うん・・・・そうだよ・・・な。」
楪の顔に若干の疲労が現れていたとか、いないとか。
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