身なりのいい男が妓楼の前で立ちすくんでいた。
腰元の刀を見れば役人であることは確かだった。
眉間に皺を寄せて、強面でじっとそこへ立っていた。
昼間といえど妓楼の前。客や女が出たり入ったりしているが男は全く動かない。
役人となれば町人は男を避けて通る。
それが妓楼の前となってはあからさまに避けられる。
妓楼にとっては営業妨害の他何事でもなかった。
とうとう、店の中から渋い顔をした男が一人出てきた。
妓楼で唯一の男である男衆だ。
「また、ですか?」
「お、おう!」
「お待ちくださいまし。」
勿論。強面の男は旭景で
店の中からゆらゆら出てくるのは楪だ。
寺でのことから三日後の話である。
「・・・・いつか営業妨害で訴えるぞ・・・・・今日はうちに帰ろう。昼は適当に用意する」
「あ、いや。う・・すまん・・・しかし珍しいな。」
「うるさい。」
昼間、大勢の人間が行き来する大通りを通りすぎて
路地に入る。
まだ蝉は命の限り鳴いていた。
楪の寺の門に一歩入ったとたん
蝉の声は消えて桜が視界の端を彩る。
楪はどこかへ行ってしまい
旭景だけが縁側で座っていた。
「旭景、茶はどうだ。」
「うん。もらおう」
楪は旭景の正面に腰をおろした。
ふらり、と涼しい風が頬を撫でた。
「それで、あの女は何ものだったんだろうか。」
「ん?ああ、あれは『誰か』ではないんだよ。旭景」
「そうなのか?」
「あれは『女』が『哀しい』想いをして『男』を『呪った』という事実が出したものだよ。だからそうだなぁ。恨みの塊ってところかな。」
「そうなのか。」
「うん。だから誰ってわけではなくて全員ってことかな。今までに辛いことがあった女性の思念が鬼となって現れた。」
「そうか。」
「うん。」
「悲しいものだな」
「そうだな。哀しいものだ。」
「じゃああの藁人形は?」
「女は月の光を染み込ませた藁を用意させた。俺は太陽の光を染み込ませた藁を用意した。月は闇に関係し太陽は光に関係する。真逆の存在だろう?
そして古来、月は女、太陽は男と考えられている。女が月の方を用意したのはこの恨みをもっと強くするため。女の関連する力で男を呪おうとしたからだ。」
「ま、待ってくれ。でもあの女が誰とも知らなければ相手も誰とも知らないのでは?」
「ああ。だからあの女が呪ってしまえば変死する男が増えただろうなぁ。でもそれは呪いか病気かなんか見分けはつかないさ。」
「そ、そうか。」
「そして俺たちが用意した藁人形は完全に男に見えた。それは女の『理想』の男だ。そして女の『殺したい相手』でもある。」
「うん。」
「だから女にあれを渡したのさ。10人の男が変死するよりも一つの藁人形の方がいいだろう?」
「・・・・・・しかし、女はそれで納得するのだろうか。」
「女は気付かないよ。呪った相手が藁人形だと。気付かないまま想いを遂げて『無』になってしまう。」
「・・・・・なんだかそれもかわいそうな話しだな。」
「とてもかわいそうさ。しかしな。幻想の中で生まれたものが幻想を信じて消えるんだよ。
あれが本当に人を、命のないものが命があるものを殺してしまえば女はずっと現世にとどめられる。
ずっと未来永劫、男を憎まなければならない。それも、哀しいことだろう。」
「そうだなぁ」
旭景はそのまま空を仰いで右手に握られた茶碗を口元に寄せた。
彼がそれを飲もうとした瞬間、思い出したように小さくこう呟いた。
「それでも俺は、あの鬼女が藁人形を抱いて消える瞬間。恋い焦がれた相手に思いを遂げた女に見えたのだよ」